三苫校区の歴史
★三苫の地名の由来
三苫の地名の起源は4世紀の神功皇后の物語に始まる。
神功皇后が御西征のとき、対馬の沖で暴風雨に遭い、それが鎮まるようにと海神である志賀三神を祭って祈りを捧げ、その供物と苫を一緒に海に投じて苫の漂着した所に社を建てて祀ることを誓ったといわれる。そのときの苫が三枚、今の三苫の海岸に流れついたことから、その地を三苫と名付けられた。
★古代~江戸時代
玄界灘の荒波・寒風のきびしい自然にさらされながら、先人たちの営々とした努力によって築かれてきた三苫の集落は、近世の後期(江戸時代)になると、農をもって生活の糧とし、神社の祭りや営農のための沼・溜池などの構築がなされ、はっきりした村の形態が出来たようだ。
★明治維新~昭和20年(1945年)
明治22年(1889年)に上和白村、下和白村、三苫村、塩浜村及び奈多村の5ヵ村が合併して糟屋郡和白村が発足し、それまでの三苫村は和白村大字三苫となった。この時期はの農地の耕地整理や耕作の技術改良などがなされ、大いに農業振興がなされた時期であったが、大戦中は労働力の不足を家庭の主婦や老人、子どもで補って、食糧増産に邁進した時代でもある。
★現代(昭和20年~現在)
昭和29年(1954年)に町制が布かれて「和白町」となり、昭和35年(1966年)8月に福岡市と合併し、和白地区に近代的な発展の兆候が見えてきた。
美和台(3,4,5丁目)の開発にあわせ昭和44年(1969年)に農地の用途指定がなされ、三苫地区の農地は、そのほとんどが市街化区域に指定された。
以後、三苫の様相は変貌し、平成8年(1996年)4月には三苫小学校の開校とともに三苫校区が誕生した。それと同時に『三苫校区自治連合会』も発足し、公民館も平成11年(1999年)4月に開館され、三苫校区の本格的な活動が開始された。今日(平成20年度)公民館創立10周年、自治(連合会)協議会創立13周年を迎え、この周年記念式典を契機に三苫校区の更なる発展が期待される。